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最初の狩人、ゲールマン のバックアップ(No.9)
資料
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| ▼ | 関連テキスト |
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| ▼ | 台詞 |
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狩人の夢で主人公に助言する右足が義足の老人。
彼の寝言からウィレームおよびローレンスの名前が出てくるため、ビルゲンワースに近しい人物であったことがわかるが、学徒であったかどうかは不明。
主人公に獣狩りの助言者とあいてアドバイスする立場にあるが、彼自身は夢に居続けることに苦痛を感じ泣いている。
終盤における選択肢で、介錯を拒否したときに発する台詞 「君も何かにのまれたか。狩りか、血か、それとも悪夢か?」 から、彼自身は狩人が狩りに没頭することも、夢の中にいつまでも居座ることも、血に酔うことも望んでいない。
つまり彼はこのどれにも当てはまらない存在を主人公に望んでいるということになる。
| ▼ | 火薬庫と教会の狩りの方向性 |
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狩りを弔いとして主人公に助言をするということは、ゲールマンが考える正しい狩人を育てるためということになる。
(曖昧な助言なのは、彼の台詞「ただ獣を狩ればいい」「直に慣れる」という観点が反映されていると思われる)
最終的に主人公に問いかけ選択させたのも、主人公の意志を試すものだと考えられる
事実として狩人の夢を経験したと思われる鳥羽の狩人アイリーンおよび古狩人デュラは、どちらもゲールマンの思想が反映された狩り行為を行っている。
しかし物語中ではこの2名しか確認できていないうえ、うち1名は狩り自体をやめてしまっており、継承者不足という危機的状況であることが見て取れる。
主人公が狩人として招き入れられたのも、そういった背景が関係しているからだと考えられる。
鳥羽の狩人として血に酔った狩人を狩る役目を担ったアイリーン。
旧市街の惨状に心痛め、獣狩りそのものを放棄したデュラ。
この二人は狩人の夢の存在を示唆する台詞を言っており、もともと狩人の夢にいた人物であると考えられる。
| ▼ | 台詞 |
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アイリーンが担った狩人狩りと、デュラの狩人狩りには明確な違いがあり、
狩人狩りを「鳥葬」と位置付けたアイリーンと違って、デュラは怒りや憎しみ、哀しみによって見出した狩人狩りである。
同時にこのデュラが抱いた心情ならびに行動というのは、そのままゲールマンが掲げた弔いとして狩りということがいかに理解されづらく、精神的に辛いものであるかという表れでもあり、
それが今日まで続く弔いとしての狩人の人材不足に繋がっているとも。
普段は姿を現さないが稀に寝言を言いながら眠っていることがあるゲールマン。
その寝言から医療教会の初代教区長であったローレンスと顔見知りであったことがわかる。
医療教会の初代教区長であったローレンスはカレル文字「獣の抱擁」で書かれたとおり獣の病の制御をしようとした末に失敗したという。
このローレンスがやろうとした制御とは作中の獣化する要因としてインタビュー等で語られている「内的衝突」と相反する考えである。
作品内の獣化のコンセプトについて、理性によって非人間的行為を抑えつけながら生きていくのが人の常であるのに対し、獣化とは理性と暴力的側面たる獣がせめぎ合ったすえに理性による抑えつけが出来なくなった状態のことをいう。
怒りや不安といった負の感情が理性で抑えつけられなくなった状態が獣であり、獣の病の本質である。
すなわちローレンスが目指した獣の病の制御とは、制御可能となった時点で従来の暴力的な獣ではなくなり、獣の病が病として忌むべきものではなくなる。獣の病がヤーナムからなくなることを意味する。
獣の病が無くなった時、そこにはもはや狩人は必要なく、ゲールマンの役目も終わる。
ローレンスの帰りをもってゲールマンが夢から解放される理由は、病のある種の根絶する形になった時のことだと考えられる。
教室棟におけるメモからローレンスと狩人の夢に登場する「月の魔物」の関係が示唆されていること。そしてそのローレンスと関りを持っていたと思われる台詞があるゲールマンを考えると、狩人の夢は二人が望んだものである可能性が高い。
しかしながらゲールマン自身は狩人の夢を「忌々しい」と表現したり「解放してください」と言ったりするなど、おおよそ彼が望んで夢の中に囚われているようには見えない。
ただし狩人の夢はゲールマンの思想(弔いとしての狩りを継承する)や助言者という立場であるところからしても最初の狩人であるゲールマンでなければ成り立たない。ゲームクリア直前の選択肢においても介錯を拒否した際主人公に刃を向けるときも「そういう者を始末するのも、助言者の役目というものだ」と語っており、彼自身、助言者としての役目を全うしようとしている。
先述したローレンスの帰りを待っているような台詞からしても、彼が狩人の夢に絶望しつつも囚われ続ける理由はローレンスとの約束を果たすためだと考えられ、
しかし獣の病が蔓延してどれほどの月日が経っているのかは不明だが、少なくとも獣狩りが必要であり続ける限り、彼は死ぬことも出来ずに夢の中で新たな狩人になる人材を待ち続けているということになり、
その先行きが見えない不安(実際のところローレンスは帰らぬ人となったため、半永久的に夢の中で狩人を待つことになる)から、彼は台詞通り「私は夢に疲れました」と嘆くようになったと思われる。
彼の言動と行動に食い違いが生じているのは、友であるローレンスとの約束と希望の見えない状況の狭間にいるが故にと。
狩人の夢の中で狩りの在り方を助言するゲールマンの意志の固さを示すものとして考えられるのは、彼の右足が義足になっていること。
獣の病が蔓延しはじめ、狩人たちがヤーナムで獣狩りをしはじめた当初、獣の病は右足から這い上ってくるという迷信が流行したという。
| ▼ | 古狩人のズボン |
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多くの人が切羽詰まる獣の病の恐怖から逃れようとこの迷信を信じたことは想像するに難しくない。
ゲールマンが今なお夢の中で囚われ続けローレンスの帰りを待ち、絶望しながらも助言者たる役割を担い続ける状況を鑑みるに、ある種の強い忠誠心が垣間見える。
そのうえで役割として全うするために、絶対に獣化しないという決意のもと、迷信ですら信用して自ら右足を切断したとも解釈できる。
ゲールマンに師事したという女狩人マリアの装束のテキストから、漁村における虐殺事件にゲールマン自身も関わっていたとされ、それを「好奇の狂熱」とも表現している。
この表現からビルゲンワースが唱える脳に瞳を得た状態を確認するために起こした虐殺事件について、ゲールマン自身も思想的に同調していたと読み取れる。すなわち彼もまた好奇心と欲求から虐殺に参加したと。
そのことについてゲールマン自身の台詞で語られることはないが、狩人の悪夢における漁村を体験した後は人形の台詞によって曖昧ながらも語られる。
| ▼ | 人形の台詞 |
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主人公によって悪夢の一端を終わらせた後に聴けるこの台詞から、ゲールマンの中では虐殺事件に関して罪の意識から文字通りの悪夢として長らく苦しんできたと読み取ることが出来る。
しかしながら「僅かでも救いがあったのでしょうか」と人形が言うようにゲールマンの中で漁村での一件すべてを水に流せるほどの救いが出来たのかどうかは疑問であり、
ビルゲンワースに所属していたとされるローレンスと思想的に懇意していたという経緯から考えると、漁村での出来事に対する罰として今のゲールマンがいるという構図にも読み取れる。
「呪いと海に底はなく」と語られたように、ゲールマンが犯した罪は、夢から解放される正真正銘の死を迎えない限り、罰は続く。
メンシスの悪夢が交信の末に悪夢の上位者(「感応する精神」「呼ぶものの声に応える」)と通じたことで形成を成し遂げたことに対し、狩人の夢は3本目のへその緒で夢の形成に至ったということが読み取れる。
(メンシスの悪夢自体はメルゴーとの邂逅とは別である可能性がある)
| 全ての上位者は赤子を失い、そして求めている 故にこれはメルゴーとの邂逅をもたらし それがメンシスに、出来損ないの脳みそを与えたのだ (3本目のへその緒) |
| 悪夢の上位者とは、いわば感応する精神であり 故に呼ぶ者の声に応えることも多い (カレル文字「月」) |
夢の形成が夢を望む者の願いや思想が悪夢の上位者によって形どられるものなら、狩人の夢も同様に3本目のへその緒で上位者の赤子となった"誰か"の意志によって形成された、つまり意図して作り上げた夢ということになる。
もし狩人の夢の3本目のへその緒を使用した"誰か"がゲールマンならば、
祭壇に3本目のへその緒が今尚置かれている以上、上位者化した姿の彼の肉体は朽ち、意志だけは夢の中に漂っている状態とも考えられる。
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