狩人の夢の中において血の遺志は人形による能力アップ時と使者によるアイテムの売買で消費される。 また聖杯ダンジョンにおいても水盆の使者からアイテムを買うことが出来るが、血の遺志による取引はヤーナムでは行われておらず、あくまで夢の中でしか取引はされていない。もしくは「穢れ」という形でアンナリーゼとの接触ができるようになっているだけである。 この血の遺志についてを人形は”普く意志”という表現をしており、主人公が持っている意志そのものという印象を受けるが、あくまで名前に「血の」が付く以上、抽象的あるいは概念的な意味の意志ではなく物体的な実存しているものとして描かれている。 ただ、かといって血の遺志を物体的なものとして捉えるというのも難しい。わざわざ「遺志」という表現を付け足している以上ただの血ではないからだ。 そのため血の遺志は、「血」というものに含まれている物体的な意味に加え、抽象的・概念的な意味での「血」をも表した比喩表現のものだと思われる。 遺志(意志)という言葉もブラッドボーンの世界では多くの面で使われいるため、血と意志は同じ意味を持つものとして考えたほうがいいのではないだろうか。
そもそも「血」には人体に流れる欠かせないものであると同時に、宗教的な意味、そして様々な比喩表現に使われる。 争いごとなどでは「血を流す」。多大な努力を言い表すときは「血の滲む様な」。人間らしい情を持たないことを「冷血」といったぐあいに多く使用されている。 特に血と意志を結びつける比喩として近いのが「~の血が流れている」というもの。 言うなればその者が持つセンスを表すもので技術が必要なものを扱う場合などに使われたりするが、この比喩は同時に思想・思考などにも使われたりする。 この比喩は血が持つ遺伝という生物的役割から来ているものでもあるため、先代の後継という前提条件がなければ成立しないこれはまさしく血そのものを言い表している。 (血そのものとは言ってないが、シモンとの会話の中で登場する「ビルゲンワースの末裔」という言葉も、思想・思考を血脈という形で比喩したもの)
また、ゲームスタート時のフェイスメイキングにおいて初期能力値を決めるのは主人公が経験した過去である。 血筋や境遇など主人公の様々な出生や経験を経て最終的に狩人に辿り付くが、能力値の長所短所はすなわち狩人としての自分自身であり、それを形成したのは自らのいきさつ。自分に流れている血そのものと表現できるのではないだろうか。 やがて狩人になり、狩りをどんな形で行うのか、目的は何か。それらは狩りを通して経験する様々な経験や思想の影響で遺伝し、最終的な目標の意志を掴む。 血の意志とはすなわち、血という深いところまで根付く、自らを形成した意志そのもののことではないだろうか。
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