宇宙は空にある のバックアップソース(No.7)
#contents
*資料 [#od321390]
-''エーブリエタースの先触れ''
この邂逅は、地下遺跡に宇宙を求めた探求のはじまりとなり
それは後の「聖歌隊」につながっていく

#br
-''イズの汎聖杯''
「聖歌隊」によれば、イズの地は宇宙に触れている
故に上位者たちは、かつて超越的思索を得たのだと

#br
-''星の瞳の狩人証''
「聖歌隊」の気付きは、かつて突然に訪れたという
&br;すなわち、地上にある我々のすぐ頭上にこそ
まさに宇宙があるのではないか?

*考察 [#i8b41db9]

聖歌隊成立前、ビルゲンワースは地下に宇宙を求めた。
聖歌隊もそれを受け継ぎ、地下遺跡イズと宇宙の繋がりを認識していた。
そしてある時突然、宇宙は我々のすぐ頭上の空にあるのだと気づいた。
#br
|''夜空の瞳''&br;精霊に祝福された軟らかな瞳&br;かつてビルゲンワースが見えた神秘の名残だが&br;終に何物も映すことはなかった&br;&br;その瞳孔の奥には、暗い夜空が果てしなく広がり&br;絶え間なく、隕石の嵐が吹き荒れている&br;僅かに瞳を擦りもすれば、それは飛び出してくるだろう|


**宇宙とは何なのか、に関する考察 [#za874b98]
-・・・ということがテキストから読み取れるが、そのままに読んでも意味が取れない。
なぜなら我々にとって宇宙とは空にあるのが当然のものであるから「我々のすぐ頭上にこそまさに宇宙があるのでないか」と改めて驚く意味が理解できないし、
地下遺跡に宇宙を求め、また地下遺跡が宇宙と触れているというのも宇宙という語を一般的な意味で取ればおかしい。
そのため、「宇宙」という言葉には我々の定義するところの「宇宙」とは違った内容が含意されているとわかる。
それが彼らの求めていたものであり、またそれによって上位者が超越的思索を得たというのならば、その意味は限定されてくる。
それは「上位者」たちの住む世界、あるいは超越的真実そのものかもしれない。
あるいはそれは上位者たちの存在そのものであると考えることもできるだろう。
&br;こういった考察から、聖歌隊が交信を試みた「高次元暗黒」とは、物質的・空間的な宇宙などではなく、
上位者の存在する世界や超越的真実といった概念的なものであるかもしれない、と推察することもできるだろう。

**宇宙とは何なのか、に関する考察2 [#za874b98]
-ヤーナムにおける宇宙の認識が我々と違うのは当たり前である。
何故なら、我々の知る遺跡の地下に宇宙は存在しないし、上位者や獣の病は未だ確認されず、さらに言えば時代も違う。
そこで、ヤーナムの人々における宇宙の認識と、我々において一般的な宇宙の認識とを書き出すことによって、文章の意図を探ってみたいと思う。
公式サイトより、ヤーナムの時代設定をビクトリア時代19世紀とそれより前とする。(ビクトリア朝が~1901年までなので一年しかないがわざとなのだろうか)
&br;ヤーナム、というかビルゲンワースと聖歌隊の人々にとって、宇宙とは地下遺跡にあるものであり、イズの地に触れるものであり、また後には空にあると気付いたものである。
我々にとって、宇宙とは地球の外を指す言葉であり、夜の空の風景を指す言葉であり、世界体系そのものを指す言葉であり……と、前後の文脈によって意味が様々で挙げていけばキリがない。
が、少なくとも地下遺跡に存在する高次元暗黒を指す言葉ではない。
ゆえに我々が「宇宙は空にある。すなわち我々のすぐ頭上にこそまさに宇宙があるのでないか」などと言われて疑問符が浮かぶのも当然である。我々にとって宇宙は空にあるのが当たり前なのだから。
しかし、ビルゲンワース及び聖歌隊の人々にとっては違う。まず地下遺跡に宇宙があると知っていて、後に空は宇宙である(The Sky and the Cosmos are One.英語版のテキスト)と気付いたのだから、これは彼らにとっては驚きなのである。
&br;さて、宇宙という言葉を意味的にも時系列的に分かりにくくしているのはエーブリエタースの先触れのテキストだと思われる。
これによれば、「この邂逅は、地下遺跡に宇宙を求めた探求のはじまりとなり……」とあり、宇宙を地下遺跡以外に既に知っておりそれを地下に求めたかのような文章である。
しかし作中において実際には、聖歌隊の時代になって初めて宇宙は空にあると認識された。それまでヤーナムでは、宇宙という言葉は空を指さなかったのだ。常識的に空が宇宙だと知る我々にとってこれほど混乱しやすい文章はないだろう。
&br;そして、何故それまで空を宇宙と呼称しなかったか?それまでは宇宙とは何を指したのか?という疑問が残る。これにも答えがある。
ヤーナムは18世紀後半であり、現実においては啓蒙主義の真っ只中。科学的思考によりスピリチュアルな曖昧さを除こうとした時代である。
キリスト教的史観の宇宙から科学的史観の宇宙への変遷であり、発達した望遠鏡により地球外の星々が実際につぶさに観測され、
宇宙=Cosmosが、ピタゴラスが唱えキリスト教が育てた「神に創造されたこの世界」という意味のCosmosと、「地球の外にある宇宙空間」という意味のCosmosとに分かたれた時代なのだ。
現実に、宇宙という言葉に世界そのものという意味と、実際的な宇宙空間という意味がある理由は、このような経緯を辿ったためである。
そして、後者の意味のCosmosが人々に広まり一般的なものになるのは、科学的な教育がなされる19世紀後半になってからである。
それまでは、空を指して宇宙とは言わなかったのだ。18世紀後半、人々にとって宇宙と言えば、広く知られたキリスト教的史観から世界そのものを指したのであり、空は宇宙ではなかった。
&br;つまり、エーブリエタースの先触れのテキストが示す宇宙の探究とは、すなわち世界の探究だったのである。
何故聖杯探究がキリスト教的世界観探究に繋がるのか?それは、ブラッドボーンにおける聖杯とはキリスト教的聖杯であり、聖杯伝説ではないからだ。
Holy Chaliceであって、Holy Grailではないのだ。ただの豪華な杯をHoly Chaliceとは言わない。
ビルゲンワースはキリスト教的史観を否定するために潜ったのか?証明するために潜ったのか?あるいは探究心からだったろうか。それは分からない。
&br;
-結論。
「宇宙は空にある」の意味するところは、キリスト教的に世界は空にあるということなのだろうか?筆者には意味が通らないように思える。
それよりは、先に地下遺跡に見つかった高次元暗黒を便宜的に宇宙と呼称し、後にそれは空にもあると気付いた。そう捉える方が、自然ではないか?
そしてプレイヤーは何を当たり前のことを言っているのかと思い、どのような意味を持つ文章なのかと考える。
&br;つまり、「宇宙は空にある」とは宇宙という言葉に対するプレイヤーの認識と作中の人々における認識の差を利用した言葉遊びなのではないだろうか。
*コメント [#o7f1caf0]
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