以下は推測を含む、ストーリーの解釈の一つである。編者:狩人ari
それぞれのエンディングは平行に並んだ、等価なものではない。 エンドA「ヤーナムの夜明け」、エンドB「遺志を継ぐもの」、エンドC「幼年期の始まり」とすると、A→B→Cの順序があり、 その順に情報を読み取っていく必要がある。 「青ざめた血を求めよ。狩りを全うするために」と「獣の病蔓延の原因を潰せ。さもなくば、夜はずっと明けない」 この目的を示す2つのメッセージは、読み取り方がエンディングで異なる。 言い換えれば、エンドAで読み取ることのできる一次的な意味と、エンドCで読み取ることのできる二次的な意味がある。
エンドAでは今回限りの獣狩りの夜を終わらせ、主人公だけが夜明けを迎えることになる。
今回、主人公は獣狩りの夜を終わらせたが、ヤーナムはもう獣狩りの必要がなくなったのだろうか? その答えはエンドBで明かされる。
エンドBはエンドAの裏面であり、続きである。 介錯を受け入れず、ゲールマンを倒すと、主人公はゲールマンの代わりとなってまた獣狩りの夜が始まる。*4
エンドA/Bでは青ざめた血を半分しか回収しきれておらず、狩りを全うできていない。 獣の病蔓延の原因を半分しか潰せておらず、獣狩りの夜はまた起こる。 ゲールマンが「全て長い夜の夢だったよ…」と言う通り、夜はずっと続いている。 これがエンドBの読み取り方ではないだろうか。
なぜエンドAおよびエンドBではまた獣狩りの夜が始まるのだろうか? 獣の病蔓延の原因は赤い月である。 そしてエンドBで分かる通り、月の魔物が現れる際に赤い月が現れる。 獣の病蔓延の原因はメンシスの儀式と、月の魔物なのだ。
HUNTED NIGHTMAREの読み取り方、 そして悪夢とは何を指すのか、を考えていきたい。
悪夢=獣狩りの夜=その原因の上位者たちを狩った。 これが悪夢の意味、HUNTED NIGHTMAREの読み取り方であると考えたい。
エンドAでは獣の病蔓延の原因、メルゴーの泣き声を止めることで悪夢を終わらせた。 エンドBでは悪夢の原因はメルゴーだけでなく、別のものがあることを示唆される。 エンドCでは悪夢の原因であるメルゴーと月の魔物両方をきちんと止め、悪夢を終わらせた。
以上のように、それぞれのエンディングは描写される内容が連続的であり それぞれを並列に見るのではなく、ひとまとまりの物語として読むことができる。 エンドA、エンドB、エンドCと見るのではなく、はじまりからエンドCまでがブラッドボーンの物語だ。
反論:エンドAでは解放されているのに、エンドBでは解放されていないという解釈は矛盾があるのでは? 回答:エンドAとエンドBはそれぞれ別の物語であると考えます。
ブラッドボーンA、ブラッドボーンB、ブラッドボーンCのようにそれぞれの物語があり、 それぞれにおいて「青ざめた血」の定義が異なった上で、一貫性があります。
同氏はインタビューにおいて、「青ざめた血を求めよ」とはメンシスの儀式を止めることを意味すると答えています。 ここにおいて、「獣の病蔓延の原因を潰せ」「青ざめた血を求めよ」という2つの目的は 全て青ざめた血の空関連一つで説明され、月の魔物は全く関わってきていません。 エンドAで終わる物語は、青ざめた血の空の物語であり、それで完結しています。 月の魔物は認識されておらず、先のような認識論にのっとれば ブラッドボーンAには月の魔物は存在しないということになります。 そのため主人公は何の問題もなく夜明けを迎えられることができました。
これに対して、エンドBでは月の魔物が登場します。 この点によって、エンドAとの差異が生まれることになります。 月の魔物は認識され、主人公は囚われることとなりました。
補足1. 「青ざめた血」の意味を走り書きを残した時点で知っていたかどうか。 知らなかったと考えるべきなようだ。 OPで輸血を受ける前に青ざめた血について聞いており、その様子からはほぼ無知であるように思える。
コメントにて 「主人公が青ざめた血の空や上位者の血という意味で青ざめた血と書いたとは思えない。輸血爺に尋ねるはずがない」 というものがあった。 答えとしては 「主人公は知らずに青ざめた血と書いた」「結果的に青ざめた血の意味は~だった」となる。 意味を知らないから、その意味にならない、ということにはならない。
結論から言えば、ブラッドボーンをプレイしているプレイヤー視点での発想をここでは取り扱っている。 主人公が知っていたかどうかというインゲーム的発想は取り扱わない。 なぜかというと、考察の骨子となるインタビューで宮崎がプレイヤー視点での解釈の仕方を述べているからである。 件の公式メッセージはプレイヤーが読み取るものであり、どう読み取るべきだったか、をインタビューにて答えている。 必然的に考察対象はプレイヤーの読解視点にならざるをえない。
あえてインゲームで考察を止めるなら、「主人公以外の誰かが青ざめた血という単語だけを伝えた」ということになるだろう。 伝達者自体も意味を知っていたかどうかは不確かである。 ビルゲンワース関係者の誰かが青ざめた血というワードを作り、それが巡り巡って主人公に伝わった。
まず前提として、Bloodborneの主人公には自由意志が存在している。 そして、プレイヤーはその主人公として目を覚ましたあと、どこへ行くかは自由だ。 ゲームシステム的な制限はあるが、最初に倒すボスも人それぞれだ。 エンディングを迎えると、主人公は最終的に獣狩りの夜を終わらせることになる。 プレイヤーによっては、テキストを読まずに気づいたらエンディング、ということにもなりえるが、ゲーム内での主人公の目的は二つ明示されている。
「青ざめた血を求めよ。狩りを全うするために」とは、主人公がおそらく手術を受ける前に、自筆で書いた走り書きだ。 それはゲーム開始直後に見つけることができる。 これを目的Aとする。 「獣の病蔓延の原因を潰せ。さもなくば、夜はずっと明けない」とは、狩人の夢で見られる手記だ。 これは目的Bとする。
主人公はさらに、狩人の夢でゲールマンから話を聞くことができる。 「今は何も分からないだろうが、難しく考えることはない君は、ただ、獣を狩ればよい。それが、結局は君の目的にかなう狩人とはそういうものだよ。直に慣れる…」 ゲールマンの言う通り、ただ道行くままに獣を狩り続けていれば、エンディングにたどり着くことができる。 だが、それでは「目的」が何であったのかは分からない。 そこで考察をしよう。
目的Aは、記憶を失う前に主人公が書いたメモで、恐らくゲーム開始時にはその意味を思い出すことができない。 プレイヤーももちろん、意味が理解できない。 しかし、ゲーム中で「青ざめた血」という言葉は何度か出てくる。 このwikiにも、キーワード「青ざめた血」として纏められているので、詳しくはそこを参照してほしい。 「青ざめた血」というのは、上位者の血を指す言葉でもあり、月の魔物を指す言葉でもある。 宮崎氏によれば、それを求めることはメンシスの儀式を止めることでもあるらしい。 だが、それは目的Bでも成さねばならないことである。
目的Bは、比較的理解しやすい。 「獣狩りの夜」とは、獣の病が蔓延する夜のことであり、蔓延させている原因を解決すれば、夜が明ける。と読み取れる。 では、病を蔓延させている原因とはいったい何なのだろうか。
それはゲーム内の手記などから読み取れる。 「赤い月は近く、この街は獣ばかりだ。きりがない もう何もかも手遅れ、すべてを焼くしかないのか」 これは旧市街で見つかるメモである。 「獣狩りの夜、聖堂街への大橋は封鎖された 医療教会は俺たちを見捨てるつもりだ あの月の夜、旧市街を焼き棄てたように」 この手記はヤーナム市街で見つかる。 旧市街は以前起きた、凄惨な獣狩りの夜に、医療教会によって焼かれたらしい。 そして、赤い月が近づいたのが、街ごと焼かざるを得ないほど、獣の病が蔓延した原因のようだ。 「赤い月が近づくとき、人の境は曖昧となり偉大なる上位者が現れる。そして我ら赤子を抱かん」 さらに、こんな手記もある。 ここから、赤い月が近づくと、人の境が曖昧になる(英語では人と獣の境、と明言されている)、上位者が現れる、赤子を抱く者が出る、という現象が起こることがわかる。
では、赤い月はなぜ近づいたのか? 過去、それが起こった原因は不明だが、少なくとも主人公が対峙する、今回の獣狩りの夜に関しては、手記がある。 「狂人ども、奴らの儀式が月を呼び、そしてそれは隠されている 秘匿を破るしかない」「メンシスの儀式を止めろ。さもなくば、やがて皆獣となる」 メンシスという人たちが儀式を行っており、それが赤い月を呼んでいるらしい。 儀式を止めるためには、「悪夢の儀式は赤子と共にある 赤子を探せ。あの泣き声を止めてくれ」という手記があるように、 赤子、その泣き声を止めれば良いらしい。 ここで一度目的Bについて整理すると、獣狩りの夜を明けさせるために、メンシスの儀式を止めればいいようだ。
目的Aは、目的Bのその先にあるように感じられる。 青ざめた血を求めることが、狩りを全うすることに必要だ、ということであれば、 「青ざめた血を求める」ことは「儀式を止めること」でもあり、その先に目的Aの真意があるようだ。
ここで、エンディングについて見てみよう。全部で3種類ある。 いずれも儀式を止めたあと、狩人の夢でゲールマンと対面することにより発生する。 流れはこうだ。 獣の病蔓延の原因である、赤い月を呼んでいた、メンシスの儀式を止めたことによって、今回の獣狩りの夜は明けるようだ。 ゲールマンは主人公に、自分の介錯を受け入れ、夢から解放されるといい、と提言する。 そして、選択肢が現れる。 「介錯に身を任せる」 「任せない」
ヤーナムの夜明け 「介錯に身を任せる」を選んだ主人公は、ゲールマンに首をはねられ、狩人の夢で死ぬ。そして、ヤーナムの夜明けと共に目を覚ました。 これを選んだプレイヤーの思いも様々であろう。夢とはいえ、主人公が首を撥ねられることを選択するのだから。しかし、そのあたりはプレイヤー次第である。 これは目的Bの達成であるといえよう。
遺志を継ぐもの 「任せない」を選んだ主人公を、ゲールマンは「君も何かにのまれたか」と判断し、主人公へと襲い掛かる。 ゲールマンを倒した主人公は、狩人の夢に出た赤い月を見る。 そこから上位者と思われる異形の者が降りてきて、主人公を抱擁する。そして、新たな獣狩りの夜、主人公は人形が押す車椅子に揺られていた。 「また、獣狩りの夜が始まりますね」人形に声をかけられた主人公は、あのゲールマンのようだった。
一見バッドエンドだが、ここでも目的Bの達成条件は満たしており、今回の獣狩りの夜は明けた、と考える。 獣狩りの夜は何度も起こるものであり、主人公はゲールマンの役割を、遺志を受け継いだのだ。 プレイヤーによっては、ゲールマンが夢から解放されたがっていることを知っているだろう。 主人公は、その意思をくみ取り、ゲールマンを解放したのかもしれない。そのあたりはプレイヤー次第である。 ラストで始まった獣狩りの夜で、新しい狩人の導き手となるのだろう。
幼年期のはじまり 「任せない」を選んだうえ、「三本目のへその緒」というアイテムを三つ以上使っている場合に、このエンディングになる。 このエンディングにたどりついたプレイヤーは、偶然そのアイテムを使ったかもしれないし、教室棟にある手記を読んだのかもしれない。 ただ、やはりそのあたりはプレイヤー次第なのだ。 ゲールマンとの戦闘後、月の魔物に抱擁されるかと思ったその時、魔物は何かに気づいたように主人公を離し、襲い掛かってくる。 そしてそれを倒すと、人形が狩人の夢に転がっている上位者の赤子のようなものを拾い上げ、「狩人様」と声をかける。
これも目的Bは達成している。しかし、ほかの二つとは大きく違うところがある。 このエンディングで主人公は、目的Aの達成条件も満たしたのだ。それについては後述する。
この目的は、主人公(プレイヤーという意味ではない)自身の目的ではないように思える。 これはつまり、獣狩りの夜というサイクルのたびに、狩人の夢に依る狩人が成すべき目的である。 狩人の夢に、それが書いてあるという事実も、その裏付けである。
メンシスの儀式により、赤い月が現れた。⇒赤い月が近づくと、獣の病が蔓延する。⇒儀式を止めるには、赤子の泣き声を止める必要がある⇒メルゴーの乳母という上位者が、赤子を守護していたので、それを倒す。 これが目的B達成条件を満たすためのあらすじだろう。 メルゴーの乳母や、赤子、トゥメルの女王ヤーナムについては、ここでは考察しない。あくまで、おおまかなストーリー全体の考察を行うためである。 とにかく、夢に依る狩人としての目的はこれで達成できる。 しかし、目的Aの文章からするに、それは「狩りを全うする」ことと同じではないらしい。 儀式を止めるのは、その手段なのである。
「青ざめた血を求めよ。狩りを全うするために」。 いま、ここまで流れを見てきたうえで、もう一度この文章について考えてみよう。
「見たまえ!青ざめた血の空だ!」という手記があるように、 赤い月が近づいている時、空は青ざめた血のような色をしている。これも言葉の意味の一つであるらしい。 ゲーム開始時には、空に赤い月は出ていないように見えるが、 それは白痴のロマが儀式を秘匿していたからであり、まずそれを暴く必要がある。 そして、最後に儀式を止める。 しかし、それだけでは「狩りの全う」にはならないのだ。
一体、「狩りの全う」とは何を意味するのか?いままで獣狩りの夜を戦ってきた狩人たちは、誰もそれを成しえていなかった。 しかし、幼年期のはじまりENDで、主人公は狩りを全うしたと考えられる。 その根拠はどこにあるのかを論じるために、そもそもこの世界において「狩り」とは何なのかを考え、結論へいこう。
Bloodborneにおいて、たびたび「人間は獣である」、というメッセージが語られる。 設定から、獣性と呼ぶのが適当であろう。人は皆、獣性を持っている。 人のうちにある獣、それが何かの拍子で表に出てくる。それが「獣の病」なのだ。 とりわけヤーナムの血の医療や、それに準ずる行動が、それを助長するようであるが、 この世界の人間は、誰しもが獣になる可能性を秘めている。 その根本的な部分を解決しないと、獣性は永遠に人から消えない。 いくら狩人が戦っても、新しい獣が生まれる。 狩人もまた、獣になる。 そもそも血の医療はそれを助長しただけであって、病の原因ではない。 原因は、人が人であることなのだ。 そう、仕掛け武器では「獣」を本当に狩ることはできないのだ。
主人公は、青ざめた血を求めて、狩りを全うしようとしている。本当の意味での「狩り」を。 輸血を受ける前の主人公がどういう人物だったのか? それはプレイヤーが各々考えることだが、主人公は獣を狩るためにやってきた。
赤い月が出ている時に、現れるものがある。 上位者だ。 上位者は、人には理解できない智慧を持っている。ステータス的には、それを主人公が得ると啓蒙として増えていく。 啓蒙が増えると、ステータスの獣性が減る。上位者の智慧は、獣性と相容れないものらしい。 では、上位者には、獣性がないのではないか。 基本的に、上位者は積極的に主人公に襲い掛かったりはしないように見える。獣のボスとは明らかに様子が違う。 白痴のロマが、瞳を授かる前にどんな風だったかは分からないが、 白痴であるということが、獣性の有無にかかわっていたのではないだろうか。 だから瞳を授かり、上位者になれた。広義でいえば、上位者とは白痴なのではないか? 上位者は、人間とは明らかに違う考え方を持っており、その動きも緩慢に感じる。獣性は感じられない。 ウィレームはそこに憧れたのでは?彼に象徴する目を覆うような装飾は、とても禁欲的に感じる。 自らの獣性を抑えることで、瞳を授かるに足る白痴であろうとしたのでは? 事実、主人公が会うことのできるウィレームは、白痴そのものだ。 そして、元来赤子とは、白痴のようなものではないだろうか。白痴の者は、まるで赤子のように見えないだろうか。あのロマのように。 しかし、白痴のようにみえる赤子には、赤子にしか見えない世界があるのでは?我々人間も、そこに憧れたりしないだろうか。
主人公は三本目のへその緒を使い、上位者の知恵、瞳を授かることにより、上位者たる資質を得た。 幼年期のはじまりENDで、月の魔物は主人公に上位者たる資質を感じた為、戦闘態勢を取ったのではないだろうか。 戦闘に勝利した後、主人公は上位者になる。「青ざめた血」である月の魔物を倒すことは、そのプロセスの終着点なのだ。
「青ざめた血を求めよ、狩りを全うするために。」とは、すなわち、 「上位者になれ。人から獣を消すために」。という意味ではないだろうか。
主人公が上位者になったことで、どんな影響が出るのかは分からないが、 上位者に獣性がないのなら、それは希望である。 上位者の赤子となった主人公は、昇華した人類の幼年期のはじまりである。
説Bは、Bloodborneのストーリー、その全体像を大まかに考察したものである。そこに記したものについて、さらに見解を深めた考察を、補足としてここに記す。 あくまでもこれは仮説であり、さらなる考察の発展の糧となればと思い、書くものである。
アメンドーズ、白痴の蜘蛛ロマ、星界からの使者、星の娘エーブリエタース、メルゴーの乳母、月の魔物、メルゴー、姿なきオドン、ゴース(ゴスム)
白痴の蜘蛛ロマ、星界からの使者、星の娘エーブリエタース
アメンドーズ、メルゴーの乳母、月の魔物、メルゴー、姿なきオドン、ゴース(ゴスム)
メンシス学派は、赤い月を呼び、ゴース(ゴスム)のような強い力を持った上位者を召喚することで、その存在から瞳を授かろうとしていた。そのために行ったのが、メンシスの儀式である。だが、メンシスの儀式で現れた上位者は、女王ヤーナムの子、メルゴーである。
そのメルゴーを奪いに、あるいは守りに、偉大なる上位者、メルゴーの乳母が現れた。ミコラーシュ達、メンシスの学徒の遺体がミイラ化していることから、彼らがメンシスの悪夢を作ってからは相当な時間が経っていると思われる。元々彼らが意図的にメルゴーを呼び、その後さらにそれを餌として別の上位者を呼ぶ、というところまで考えていたのかは分からないが、今回の獣狩りの夜に、その原因となる儀式は始まった。それはおそらく再誕の広場辺りで行われた。そこに赤い月が現れ、メルゴーが現れたが、メンシスの悪夢へと移された。メルゴーの乳母も、それによってメンシスの悪夢にいるのだ。儀式を行ったのが誰なのか、正確には分からないが、メンシス学派の肉体はミイラになっているし、悪夢でもミコラーシュ以外の学徒は見かけない。トゥメル人の狂った女たち、鐘を鳴らす女が再誕の広場にいることから、彼女らが行ったのかもしれない。そして、彼女たちは赤い月から異形を呼ぶ。再誕者、あれはどういった存在なのだろうか?
メルゴーの乳母、姿なきオドン、月の魔物
狩人の助言者を操り、夢に依る狩人を獣狩りの夜の度に導き、それを終わらせられる存在にまで成長させる。そして、上位者たりえる存在となったならば、「青ざめた血」である自分を倒させることで、上位者の赤子に変態させる。
捨てられた古工房に、三本目のへその緒があり、狩人の夢のそれとそっくりの人形があること、ゲールマンが月の魔物に囚われていることから、ゲールマンが月の魔物を呼んだ、と想像するのは難しくない。そして囚われたのだろう。
人形をゲールマンが作ったと仮定するなら、彼は人形に生命を吹き込みたかった。それを望んでいた。それは叶わず、古工房で見られるように、人形はかすかに手の指を動かすだけだった。しかし、狩人の夢の人形は、啓蒙があれば動いているのを見ることができ、話もできる。ゲールマンの望みが叶ったといえる。月の魔物を呼んだことは、そこに起因するだろうか。
ゲールマンの望みを叶えた月の魔物は、優しい部類の上位者なのかもしれない。だとしても、自らの身を犠牲にするほどとは、上位者たちの「赤子を求める」という欲求は恐ろしいまでに強いのだろう。
主人公は人間から上位者の赤子に変態した。おそらく偉大なる上位者になったと思われる。ロマと違い、眷属ではない上位者となったことで、人の進化は次の段階へ入った。まさに、ウィレーム達が望んでいたことである。 それは狩人の夢で起こり、今赤い月を介して移動する必要はない。おそらく赤い月を呼び出したり、赤い月によって呼び出されたりという偉大なる上位者の能力、特性は備えているのであろうが、ここでそれを使う必要はない為、赤い月が空にないのは当然ともいえる。 同じように、アメンドーズ、姿なきオドンも、本編中に存在しているが、赤い月の影響を受け、アメンドーズが目視できるようになる、といった現象は起こってはいるものの、やはり彼らに関連する赤い月は現れていないと思われる。 必ずしも上位者がいるところに必ず赤い月が存在し、赤い月があるところに上位者が存在する、というわけではないようだ。しかし、人にとっては赤い月は獣の病蔓延の原因にもなりえる名状しがたい恐ろしいものであり、やはり呼び出していい類のものではないだろう。
この作品は作中でも言及されている通り夢を題材にし、 加えてゲームというコンテンツである以上、遊ばせる前提のうえでの開発の都合が当然ながら存在する。 それは一見すると世界観や物語を読み解く考察を否定しかねない要素ではあるものの、 製作者の思想や偏見、解釈を考察するというメタフィクション含む物語を考察していくと、より違った視点から作品を楽しむことが出来る。
フロムソフトウェアの作品の多くは主人公に個性を付けることがそれほど多くない。
主人公の没個性な状態や意志を題材にした設定など、ロールプレイングを意識させることに重きを置いているため、 マルチエンディングでありながらそれぞれのエンディングにプレイヤーに選んだ理由が求められる。 例えばゲールマンが最後に問いかけた選択肢に関しては「あなたは何故それを選んだのか?」という動機がプレイヤーに求められる。 同じようにエンディング「幼年期の始まり」においても「あなたは何故3本目の臍の緒を使用したのか?」という動機が、 ゲーム中には描写はされないがロールプレイ上での物語では必要になってくる。 これは裏を返せばネタバレやクリア済み等の既知の状態では再現できない、純粋な判断しか出来ない初見時だからこそ成立するエンディングであり、 未取得のアイテム回収や未見エンディングのためといった作業効率からなる選択では物語上成立しないものである。
プレイヤーが主人公を演じることについて、TRPGはプレイヤーの自由な発想と判断が許される。 ダイスや能力値、GM(ゲームマスター)による一定のルールに沿って、プレイヤーの意志がその後の展開を左右していく。 一方で家庭用ゲーム機やパソコンで動かす、いわゆるデジタルなゲームにおいてはプレイヤーよりも予め作られたプログラムが優先される。 いくらプレイヤーの意志で行動したとしても、それがプログラム上に設定されていなかったら実現されない。 コンピュータゲームはTRPGにおけるプレイヤーの幅広い発想を表現できる媒体ではない。 この作品は確かに多くの点でTRPGのようなロールプレイ要素がふんだんに盛り込まれているが、 プレイヤーの選択を全て叶えられるほどの媒体で作られておらず、ロールプレイを重視すればするほど、プレイヤーの思惑から乖離してしまう歪みが生じてしまっている。 (従来作品の主人公=プレイヤーと大きく違う点は、過剰とも言えるぐらい主人公に個性を持たせていないことと、意志を題材にした物語であることが大きい。)
意志やロールプレイという点を強く意識させる一方で、コンピュータゲームであるが故に、 それぞれのエンディングにおけるプレイヤーの判断が必ずしも思い通りになっているとは言い難い状態になっている。 例えばエンディングは3つ存在するが、その中にはゲールマンが想定したと思われる「悪夢」「狩り」「血」に飲まれた存在へ主人公がなったエンディングが存在しない。 数多のプレイヤーの中には確実に「いつまでも獣を根絶やしにしたい」と考える人もいるはずだが、それに応えるエンディングも存在しない。 そういった歪みの中で描かれた物語の結末は、恐らく製作者がプレイヤーの意志を事前に想定したものであると考えられる。 特に3本目の臍の緒を使用した際のエンディング「幼年期の始まり」は、 アイテムのフレーバーテキストにて「同時に、内に瞳を得るともいう」といった上位者化への示唆をし、そのうえでプレイヤーは使用するという構図になっており、 結果としてゲーム側がプレイヤーは上位者化したいという意志を表明したとみなす。 一方でエンディング「意志を継ぐもの」に関しては、プレイヤーがゲールマンに対してどのようなことを考えているかによって分かれる。 事前にゲールマンの悲痛の叫びを聴いていたのであれば、プレイヤーはそこから解放させたいと思うであろうということを想定して描かれたものだと解釈できる。 ロールプレイを強調しているからこそ、エンディングの動機すらもプレイヤーに委ねられているが、 事前にプログラムさせておかなくてはならないコンピュータゲームである以上、作り手が事前に想定し用意した、狭い選択肢からなる物語になっていると考えられる。
この作品における「夢」は、数あるテキストや描写などから、私たちが思い抱く夢とほとんど同じものとして描かれている。
言わずもがな、この作品は架空のものであり、現実には存在しない。 先述したように夢には理想像という意味もあり、同時に幻という意味もあり、この作品ではそれを同時に描いている節があるが、 エンディングのひとつ「ヤーナムの夜明け」の描写からして、明らかに全ての出来事が夢の中の幻であったかのように描かれている。 それはこのゲームがTRPGのようにプレイヤーのロールプレイを意識させる構造もあいまって、 このゲームでの体験そのものを夢とするメタフィクション的要素を意図して取り入れられているからと考えられる。 すなわち、この作品を購入し遊び、ゲームクリアを目指すというユーザーの心理そのものが夢を体験し、目指すという行為そのものを表しているということ。 主人公の当初の目的とされる「狩りを全うするために」というのも、 獣狩りを題材にしたこの作品そのものを全うするという意味と同じものとして扱っていると思われる。
プレイヤーという提供される側という意味では、作品内での夢と現実にゲームを遊ぶプレイヤーの行為そのものが密接に繋がっていると言えるが、 作品を提供する側からすれば作品の完成を目指し、成し遂げた理想の形がこのゲームであるという解釈もできる。 言うなればブラッドボーンという作品はフロムソフトウェア、ひいては宮崎英高氏の夢の形そのものでもあるということ。 勿論多くのクリエイターたちによって作られたものであり、そしてその大勢があるひとつの目的(作品の完成)に向かって成し遂げたものである。 夢を題材にしたことで、結果として遊ぶ側、遊びを提供する側という両者の立場を表現してみせたものになったと言える。
TRPG的要素に夢という概念をも盛り込んだ今作は、ある種のRPG論を打ち出してきたように読み取ることもできる。
今作でここまでロールプレイと、意志や夢という要素を持ち出してまで表現したかったのは、 恐らくゲームを遊ぶという行為そのものを今一度定義しなおしたかったと考えられる。 エンディング「ヤーナムの夜明け」の描写のように、確かにゲームそのものは幻であり、いずれは現実へと戻る構造になっているが、 その時同時に我々プレイヤーはなにかしらの成長を遂げている。 夢であったにも関わらず、現実のヤーナムで目覚めた主人公がゲーム開始時の状態ではなく、 夢の中で体験し成長した状態のままでいることは、ゲームを通じて成長を遂げたプレイヤーそのものを体現していると言ってもいい。 それはこの作品が従来の宮崎英高作品同様高難易度とそれを乗り越えることを主軸にしたものだからこそだと言える。 あるいは製作者がそう信じ、そうなるようにゲームを作っているという思想を持っているからとも。 まさしくそれは、見る者、見せる者による思想を映像化させる夢と同じように。 一方で、こうしたメタフィクションとしてこの作品を考えた時、プレイヤーが最終的に獣化ないしは狩りに酔いしれてしまうエンディングは、 先述したゲームを通じたプレイヤーの成長とは反対の表現にもなってしまうため、いわゆるバッドエンドが存在しないと考えられる。
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「青ざめた血を求めよ。狩りを全うするために」 これは上位者や上位者の赤子の血を取り込み、獣を狩りつくして上位者となるべし という月の魔物から狩人への指令
「獣の病蔓延の原因を潰せ。さもなくば、夜はずっと明けない」 夜が長いのは月の魔物せいであり、獣の病は上位者(の血)が原因でもある。 エンドCではそのどちらも排除したため夜が明けた しかし「幼年期の始まり」という名の通りこれから幼年期である。 果たして平穏無事に済むだろうか -- 2019-05-30 (木) 13:06:22
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