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啓蒙 の変更点

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*資料 [#uf8f3ffd]
啓蒙という単語は「光で照らされること(蒙(くら)きを啓(あき)らむ)」となっており、理性主義の考え。
偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促す思想の名前。
17世紀ヨーロッパから始まり18世紀にピークを迎えた主要な思想の名前で、啓蒙時代とも称されるほど影響を与えるものとなった。
特に当時の専門機関は積極的にこの思想を取り入れるようになり、フランス革命にも影響を与えたとされている。
しかし人の理性では説明できない信仰や生の意味などに対しては思想的説得力が弱く、次第に別の思想へと枝分かれしていくようになった。
|啓蒙(Wikipedia)&br;[[http://ja.wikipedia.org/wiki/啓蒙思想>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3]]|

*考察 [#o62da65a]
今作における啓蒙も、実際と同様「偏見を捨て理性の範囲で物事を自然に見る」の意味で捉えると分かりやすい。
-啓蒙を獲得する状況
--未踏査のエリアに到達
--ボスとの会敵及び撃破
--特別な人物と出会う
--狂人の智慧を使用

これらは全て主人公が目にしたもの、成し遂げたもの、使用したものであり、それで啓蒙が上がるということは、
主人公の中にある人の理性の範囲で得られた景色、経験が偏見を捨て(軽減され)、世界の自然体を少しばかり見えるようになったという意味になる。
事実、啓蒙の上昇に伴ってオドン教会に纏わりつくアメンドーズが赤い月が現れる前に見えるようになったりするなど、主人公が見ている世界の認識が広くなっていっていることを意味している。
またヤーナム民が異邦人を嫌ったり教会以外の狩人を蔑んだりするなどヤーナム全体が強い偏見に染まっていることからも、啓蒙による認識の幅が極端に狭まっている状況下であるとも考えられる。
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-「自然に見る」という言い方は分かりやすくないんじゃない?
啓蒙は英語で enlightenment。lightが入ってることから分かるように「明るくすること」。
これは書かれてることと重複するけど、啓蒙は「蒙(もう、暗いこと)を啓く(ひらく)」。
良く見えない暗いところに光を当てて見えるようにするってことですね。
今作で言えば、ヤーナムに来た時は世界は良く分かっておらず、真っ暗な状態。
そこに発見があって、ポツポツと光が当たっていく。
だから、各地を巡ったりボスと出会ったり人物と出会うことで啓蒙が増えていく。
ヤーナムの民が啓蒙による認識の幅が狭いという言い方も不自然に思う。
適切なのは認識の幅が狭く、啓蒙が低い、という言い方じゃないかな。

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--「自然を見る」が正しいのかな?
「暗いところに光を当てて」というのは偏見による見方の一方的化からの脱却も含まれてます。
啓蒙は思想のことなので、知って啓蒙が増えるという形に作中ではなってますけど、そこには無知が故の偏見というものもあるわけですので全て自分の中の考え方の話です
「啓蒙による認識の幅が狭い」ということについては自分も迷ってます。けれども「啓蒙が低い」という表現も疑問です。ゲーム的には数字で表せますけど、構造的には低いも高いもないので

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---啓蒙は思想のことというのもおかしい。詳しくは補足にて。
**なぜ発狂しやすくなるのか [#u95b4fa9]
アイテム狂人の智慧は、いわゆる狂人が得ていた知識である。
それを使用すると啓蒙を得るという現象はすなわち、知識を獲得したことによる偏見の軽減化が発生しているため。
上記の啓蒙を獲得する状況は全て「知る」ということが関係しており、目や耳、そして脳で捉えたものを受け入れることによって自己完結していた真実を本当の真実に近づけさせる。
曖昧なもので認識していたものを知ることで確信に変わる。狂人の智慧は知るための知識を与えるものである。
しかし人の知識では説明できない存在、上位者や悪夢の存在などが作中多く存在し、そしてそれが真実であるとなっているため、
尋常ならざる真実を知ってしまった高啓蒙状態は、多くの知識を基に人とは遠い思考を持ってしまうため、人としての認識能力を超えてしまっている状況下であると考えることができる。
自らのキャパシティを超えた思考で脳が悲鳴を上げることが、啓蒙と発狂の関係ではないだろうか。

**赤い月が現れた世界と啓蒙の関係 [#tb1a6d1b]
| あらゆる儀式を蜘蛛が隠す。露わにすることなかれ&br;啓蒙的真実は、誰に理解される必要もないものだ|

ビルゲンワースにあるメモにはロマが隠したとされる儀式、メンシスの赤い月を呼ぶ儀式についてもたらされる世界を”啓蒙的真実”と言い表している。
メンシスの儀式によって起きた現象の主なもので住民らの無差別な獣化があるが、その現象を啓蒙的真実とするのは人の本質が獣であるからを根にする。
ヤーナムは同じ人間でありながらも病を広げる原因でもある獣を忌み嫌っている。人と獣は同じであるという真実を知らないため、彼らは真実を知ろうとも見ようともしないのは当たり前である。
ヤーナムはそういった偏見に塗れた都であるため、啓蒙思想とは程遠い存在に位置している。
しかしメンシスの儀式によって啓蒙的真実、すなわち偏見を捨てさせ、真実を無理矢理見せる状況が生み出された。これは同時に常人にも上位者が見えるようになることにもなる。
偏見を失った人々は本質である獣を受け入れてしまい、獣化する。
赤い月の世界は常人皆の認識の幅を広げる環境下であるということが、ビルゲンワースのメモで把握できる。

*補足 [#h03979f4]
上の文章では、啓蒙という語の由来を踏まえておらず、理解が不十分なまま書かれてしまっています。
大きくは間違っていませんので、ここでは補足という形で
語の由来から含めた、啓蒙という単語の意味
そしてその上でのゲーム内での啓蒙の意味付けを説明していきたいと思います。

**一般用語としての啓蒙 [#d41585c9]
***翻訳語 [#b10391a0]
さていきなり少し本題とそれますが
日本語には和語、漢語、朝鮮からの借用語、和製漢語などさまざまな由来の言葉があります。
和語というのがもともとの日本語オリジナルなもので、擬音語・擬態語から作られたものが多いです。
ぴよぴよ→ひよこ、ぱたぱた→はたがその例です。
うつくしいなど音を聞いただけで意味が分かる単語がこれに当たります。
それに対して、中国から借りてきた言葉が漢語です。
強行・恐慌・教皇など、キョウコウと音で聞いても意味が分からない単語がこれに当たります。
このように、ひとくちに日本語といっても由来が様々であり、入ってきた時代も違います。
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啓蒙という単語がメジャーになったのは明治時代以降ではないかと思います。
開国し、海外の新しい概念を取り入れるために色々な翻訳語が作られました。
wikiによると文化・文明・科学・哲学などだそうです。
啓蒙も同様に、海外におけるEnlightenmentの翻訳語として充てられたものだと考えられます。
したがって、啓蒙の意味を考えるのなら、翻訳元のEnlightenmentの概念を知る必要があります。

***漢語としての啓蒙 [#r229f6f0]
なお、現在広く使われている哲学用語としての啓蒙は、前期通りEnlightenmentの翻訳語として捉えて差し支えないですが、
啓蒙そのものは「蒙をひらく。悟らせる」(『字通』)「一般の人々の無知をきりひらき、正しい知識を与えること」(『日本国語大辞典』)を意味する古い漢語です。
既に後漢末に書かれた『風俗通義』皇覇に「亦足以祛蔽啓蒙矣」(また以て蔽(おお)いを祛(はら)い、蒙(くら)きを啓(ひら)くに足る)という用例があります。
教科書的な本や辞書的な本の名前にも使われていて、たとえば元代の『算学啓蒙』や日本にも江戸時代初期に『神社啓蒙』などがあります。
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-『新漢語は2種に分けられる。1つは、「科学」、「哲学」、「郵便」、「野球」など、新しく漢字を組み合わせて作った、文字通り新しい語である。
もう1つは、「自由」、「観念」、「福祉」、「革命」など、古くからある漢語に新しい意味を与えて転用・再生した語である。』-wikipedia
啓蒙は、この後者に当たりますね。
もとからある漢語を借用して翻訳語として使っているパターンです。
***歴史用語 [#i0a1e375]
enlightenmentは en + light + en + ment の4つに分けられます。
enは動詞化する形態素で「~する」、lightはご存知の通り「明かり」、mentは名詞化する形態素で「~こと」なので
enlightenmentの意味は明るくすること、ということになります。
しかしながらEnlightenmentはただ単に明るくするという意味でなく、より思想的な含意があります。
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ヨーロッパの歴史として、領土の確定があります。
ヨーロッパはゲルマン民族の大移動やアラブ人の侵攻、騎馬民族の侵攻など常に戦いの渦中にありました。
そのため、支配関係が複雑で、現在のような領土の確定した国が出来にくかったと言えます。
これは16世紀までの話で、16世紀以降は現在のようにだんだんとヨーロッパの各国が力をつけ
それまで侵略されていた土地を取り戻し、アラブ人を逆に攻める時代に変わりました。
これが大航海時代であり、ヨーロッパがそれまでアラブ人の支配下にあったアフリカ北部に進出、
さらにはインドへの到達、日本へも来ることになりました。
そうこうして、18世紀にはヨーロッパ内部の国づくり、領土確定も以前より安定して行われるようになりました。
#br
そんな時代の思想が啓蒙主義です。
侵略される時代が終わり、ある程度の豊かさ、安定を手に入れ、今度は思想面での「確定」をする余裕が出てきました。
以下こちら(http://www.y-history.net/appendix/wh1003-031.html)からの引用です。
#br
-啓蒙思想の前提
17世紀は科学革命の時代と言われ、イギリスのニュートンやベーコンによって切り開かれた自然探求とロックの政治思想で展開された経験論と、
デカルトやスピノザなど大陸で始まった人間主体の思想である合理論によって、神を絶対視した世界観は動揺し、自然科学が著しく発展した。
その影響を受け、人間や社会、国家のあり方を根底から見直す動きとして現れたのが啓蒙思想であった。
17世紀の「科学の時代」に対して、18世紀は「啓蒙の時代」と言われている。
&br;国家というものが確定して出来たため、それに対して国民と国家の関係、国民とは何かという思考が出てきました。
&br;
-啓蒙の意味
「啓蒙」とは、「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。
18世紀フランスに起こった啓蒙思想での「無知」とは、封建社会の中で教会的な世界観の中に閉じこめられていた人々のことを言い、
彼らに対して「人間」や「社会」、あるいは「世界」や「自然」の真実を教え、無知から解放することが「啓蒙」であった。
その啓蒙思想は当時のフランスのブルボン朝ルイ15世の絶対王政と、そのもとでのアンシャンレジーム社会に対する攻撃という毒を含むこととなった。
&br;さてここが一番大事かもしれません。
啓蒙とは無知を有知にすることであり、
18世紀フランスにおける思想面での啓蒙とは、未だ知らぬ人々に国民とは何か、人間の権利について知らせることを意味します。
国王にただ課税されるのを受け入れるのではなく、君達には人間の権利があるのだと。
&br;「啓蒙とは何か」 カントは『啓蒙とは何か』(1784)で次のように定義している。
(引用)啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。
未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことが出来ないということである。
人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。
だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。
こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて(サペーレ・アウデ)」だ。
すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。
<カント/木田元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か』2006 光文社古典新訳文庫 p.10>
&br;
-参考 啓蒙の時代
現代の日本のイギリス史家近藤和彦は、18世紀のキーワードとして「重商主義・啓蒙・公共圏」をとりあげ、その中の「啓蒙」について、次のようにまとめている。
(引用)啓蒙は、古代とイスラームの遺産を受けついだルネサンス以来の合理主義・科学が成熟点をむかえた17世紀末~18世紀に、ヨーロッパの知の基調をなした。
これは西欧文明が、近世に新しく拡大した世界のすべてを理解しなおそうというと欲した渾身の自己了解の試みであり、
古代以来の知を組みかえ、展開すべき先端哲学であり、総合科学である。
理性に照らしあわせてみずからの非合理なものを排そうとした実学であり、歴史や伝統、そして信仰を相対化する普遍主義であり、
知と理性を信じ、現在の文明に自負をもち、未来を楽観する進歩思想であった。
これは基本的に世俗合理主義であり、キリスト教の枠内にとどまる場合は理神論にかたむいた。
<近藤和彦『文明の表象 英国』1998 山川出版社 p.127~128>
&br;宗教なり王様なりは、それまである程度盲目的に認められ、権威のある存在でした。
その盲目的な認識を改めよう、見直してきちんと理論立てて考え直そうという志向が啓蒙主義です。
***一般用語 [#rff4f5e1]
もう一度まとめ直しますと、啓蒙とは
+暗いところに明かりを当てること。
+「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。
+18世紀フランスにおいては既存の思考から抜け出せていない人々に「人民の権利」を教え、無知から解放すること。

ということでした。
#br
一般的に啓蒙という言葉を使うと、「目からうろこを落とす」「新たな知識を与える」という意味になるかと思います。
支配的な当然とみなしてきた思考から脱却し、新たな視点を手に入れるような、そんな無知から有知への進展です。
#br
-偏見という表現について
あらかじめ認知された、支配的な思考が上の文章で言う「偏見」に当たると思いますが
偏見という表現は認識されている物事に対する穿った見方というニュアンスを含みますから
無知な状態と偏見を持った状態はイコールではありません。
その意味で「啓蒙する」を「偏見を排する」と言い換えるのは語弊があります。

**ゲーム内における啓蒙 [#i301dfaa]
ゲーム内において啓蒙の意味するところも基本的には変わらないと思います。
''無知から有知になる''こと。
何も知らなかったヤーナムについて、世界について知っていくこと。
その''知の量''が「啓蒙」ということではないでしょうか。
啓蒙が増えると、人形が動き出し、異形の生物がはっきり見える。「目からウロコ」の真実です。
#br
英語版ではInsightと翻訳されていますが
insightは in+ sight 「中を見る」の通り
外側の表面的な理解ではなく、内側の、本質に対する理解を表す単語です。
#br
英語に翻訳した際にInsightになっているのは、Enlightenmentは「明るくすること」という展開を表す語であり
知識の静的な量を表す単語としては不適だからではないかと思います。

**まとめ [#f5a493e6]
啓蒙とは、世界の暗い部分に光を当てていくように、知らなかった物事を知っていくこと。
ゲーム内における啓蒙とは、その知っていった物事の量、世界の本質的理解の度合いを表す単語。
#br
以上私の理解に基づく説明になりますが、特に歴史部分に関しては大雑把な記述・誤記もあるかと思います。
なにとぞご容赦ください。
*コメント [#ob8b2339]
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