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啓蒙 のバックアップ(No.3)
資料
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| 啓蒙(Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/啓蒙思想 ![]() |
今作における啓蒙も、実際と同様「偏見を捨て理性の範囲で物事を自然に見る」の意味で捉えると分かりやすい。
これらは全て主人公が目にしたもの、成し遂げたもの、使用したものであり、それで啓蒙が上がるということは、
主人公の中にある人の理性の範囲で得られた景色、経験が偏見を捨て(軽減され)、世界の自然体を少しばかり見えるようになったという意味になる。
事実、啓蒙の上昇に伴ってオドン教会に纏わりつくアメンドーズが赤い月が現れる前に見えるようになったりするなど、主人公が見ている世界の認識が広くなっていっていることを意味している。
またヤーナム民が異邦人を嫌ったり教会以外の狩人を蔑んだりするなどヤーナム全体が強い偏見に染まっていることからも、啓蒙による認識の幅が極端に狭まっている状況下であるとも考えられる。
アイテム狂人の智慧は、いわゆる狂人が得ていた知識である。
それを使用すると啓蒙を得るという現象はすなわち、知識を獲得したことによる偏見の軽減化が発生しているため。
上記の啓蒙を獲得する状況は全て「知る」ということが関係しており、目や耳、そして脳で捉えたものを受け入れることによって自己完結していた真実を本当の真実に近づけさせる。
曖昧なもので認識していたものを知ることで確信に変わる。狂人の智慧は知るための知識を与えるものである。
しかし人の知識では説明できない存在、上位者や悪夢の存在などが作中多く存在し、そしてそれが真実であるとなっているため、
尋常ならざる真実を知ってしまった高啓蒙状態は、多くの知識を基に人とは遠い思考を持ってしまうため、人としての認識能力を超えてしまっている状況下であると考えることができる。
自らのキャパシティを超えた思考で脳が悲鳴を上げることが、啓蒙と発狂の関係ではないだろうか。
| あらゆる儀式を蜘蛛が隠す。露わにすることなかれ 啓蒙的真実は、誰に理解される必要もないものだ |
ビルゲンワースにあるメモにはロマが隠したとされる儀式、メンシスの赤い月を呼ぶ儀式についてもたらされる世界を”啓蒙的真実”と言い表している。
メンシスの儀式によって起きた現象の主なもので住民らの無差別な獣化があるが、その現象を啓蒙的真実とするのは人の本質が獣であるからを根にする。
ヤーナムは同じ人間でありながらも病を広げる原因でもある獣を忌み嫌っている。人と獣は同じであるという真実を知らないため、彼らは真実を知ろうとも見ようともしないのは当たり前である。
ヤーナムはそういった偏見に塗れた都であるため、啓蒙思想とは程遠い存在に位置している。
しかしメンシスの儀式によって啓蒙的真実、すなわち偏見を捨てさせ、真実を無理矢理見せる状況が生み出された。これは同時に常人にも上位者が見えるようになることにもなる。
偏見を失った人々は本質である獣を受け入れてしまい、獣化する。
赤い月の世界は常人皆の認識の幅を広げる環境下であるということが、ビルゲンワースのメモで把握できる。
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