人形 のバックアップ(No.1)

考察 Edit

ゲールマンと共に狩人の夢に存在している、自らの意志で喋り、動きもする女性型の人形。
いくつかのバックグラウンドが垣間見える謎の存在だが、人形自身は主人公ならびにゲールマンに尽くす役割のもとで動いているよう。




人形の役目 Edit

最初は動かないがプレイヤーが啓蒙のステータスを1でも持っていると動き、喋りだす女性型の人形。
ゲールマンの台詞や彼女自身が人形という形でいることからして、何かしらの意図があって存在している模様。


  • 教育者としての立場の人形
    狩人の夢自体が工房の体裁を保ち、ゲールマンの考える弔いとしての狩りを広めるために成り立っているのなら、
    多くの台詞で従僕さを感じる人形も、その役目の一部になっていると考えられる。
    また、2018年末に開催されたヴィクトリア&アルバート博物館で展示されたブラッドボーンの初期資料ガヴァネスの言葉があったことからも、
    人形が担った役目はゲールマンの狩りの思想を主人公に教育させることにあたると考えられる。

狩人を待つ Edit

ゲールマンが唱える弔いとしての狩りが他工房には継承されなかったことや逃避的な経緯を辿ってしまったデュラの例からして、慢性的な人材不足に至っていることは想像に難しくない。
悪夢から覚める直前の主人公に聞こえた人形の言葉も、恐らくはそういった経緯からきたものであると考えられる。

ああ、狩人様を見つけたのですね
ああ、小さな彼らは、この夢の住人です
あなたのような狩人様を見つけ、慕い、従う…


造物主として Edit

主人公を狩人に相応しい身体へと成長(レベルアップ)させる人形の所業は、まさしく教育者としてのイメージのもとで表現されたゲームシステムであると思われる。
しかしながら人形の背景およびゲールマンの背景を考えた時、単なる教育者という立場を超えた血の繋がらない狩人の疑似家族という構図が浮き彫りになってくる。


  • 仕えることが全て
    普遍的な教育者のイメージと決定的に違うのは人形自身の意志や思想のもとに役割を得たわけではないということ。
    人形自身、狩人の夢における役割以上のこと喋ることもなく、そもそも捨てられた古工房にある同じ人形が夢の中でのみ動き、喋るようになったところからも、狩人の夢で仕えることしかない没個性な存在であると考えられる。
    人形にとってのアイデンティティは狩人の夢で仕えることしかなく、それ以外の何物も持ち合わしていない。

  • 役割を演じて全うしようとする
    ただ役割を与えらえたのみの人形にとってしてみれば、その役割こそが自らの存在理由になる。
    そのうえで向き合う主人公の存在は、単なる教育者と顧客の関係では済まされない我が子同然のものへと昇華することもおかしくなく、
    人形自らもその関係を「造物主と被造物」と表現している。
    しかしその関係性において必要な「愛すること」という概念を人形は持ち合わしておらず、あくまで「そういうものでしょう?」と演じることしかできていない。
でも…造物主は、被造物を愛するものでしょうか?
私は、あなた方、人に作られた人形です
でも、あなた方は、私を愛しはしないでしょう?
逆であれば分かります
…わたしは、あなたを愛しています。
造物主は、被造物をそう作るものでしょう?

  • 造物主と被造物の台詞について
    人形の台詞にある造物主とは、何かを生み出した者、あるいは神のことを指し、
    対する被造物は生み出されたもののこと。
    人形は人が作ったとして被造物にあたるが、同時にこの関係性において必要不可欠なものであるとする「愛すること」が人形と人の間には成立していないと説く。
    ここで言う人形の「人」とは、台詞で「あなた方」としているように、種として全体的なもののことを指している。
    すなわち、人形は人が生み出したものではあるが、多くいる人の内の誰かという個人間でしか「愛すること」は成立しないことであり、
    当事者になって初めて成立するものであるということを語っている。
    それを証明するかのように、人形の髪飾りや服装(スペア)のテキストからわかる製作者の思いというものに、感情の概念が無いあるいは薄い人形は涙している。
    その感情は、生み出したもの、生み出されたものの間にしかわからない。
これは…なんでしょうか?
私、私には何もありません、分からない、分からないのですが
…温かさを感じます…こんなことは、はじめてです…
私は、おかしいのでしょうか?
ああ…
でも、狩人様。これは、やはり喜びなのでしょうか
ああ…
ごく丁寧に作られ、手入れされていたであろうそれは
かつての持ち主の、人形への愛情を感じさせるものである

それは偏執に似て、故にこれは、わずかに温かい

(人形の衣装)


人形の台詞からわかる物語の根幹 Edit

造物主と被造物の台詞は「神と神の愛の話」という前提をもとにしており、それを人形と主人公の間柄に当て嵌めたものである。


  • 神が人を作った
    人形曰く「幾人かの狩人から聞いた話」とした神と神の愛の話は、台詞自体の内容からしても神が人を生み出したという話であると考えられる。
    故に造物主である神は被造物である人を愛した。
    その宗教的思想は概念として作中に存在しているというよりも、"聞いた話"というその者の偏見的あるいは偏執的なものでしかなく、
    これが真実であるかどうかは実際のところはわからない。
    しかし獣の病を呪いとし、その由来も生物として決して切り離せない根幹部分(血)が証明してしまっている現状をして被造物である人を神は本当に愛しているのか?という疑問が出てくる。

  • 神=上位者?
    上位者の智恵のテキストに「神に近い」と書かれているところから、上位者は神あるいはそれに準ずる存在であることがわかるが、
    狩人の悪夢で死骸となっているゴースの姿形が人と同じ部分が随所にあるところからして、ゴースは人に連なる部分が少なからずあり、
    しかもそれが上位者となれば、先述した上位者と造物主、被造物の関係性に当てはめた場合、ゴースは人の祖先あるいは生物としての系譜上にあたる存在だと考えることが出来る。
    勿論大きく違う部分も多くあり、直系にあたるものでもないということも言える。

  • 生物としての繋がりを感じさせるゴース
    人と共通する部分を持ち合わしている上位者のゴースだが、それは同時にその地下遺跡で栄えたと言われる"人ならぬ人々"にも通じているということになる。
    作中では地下遺跡における人に近い姿の者たちとヤーナムで獣の病に苦しむ人は神秘の智恵の有無という点で区別されていたよう。
    その"人ならぬ人々"という曖昧な言い回しの存在が、女王ヤーナムといった地下遺跡内における王都の者たちのことなのかどうかは定かでないにしても、
    上位者かどうかは関係なく、肉体的な部分での共通点があるゴースからの系譜にあたる存在であることは大いに考えられる。
    そして、カレル文字「苗床」のテキストと「苗床」を装備した状態での漁村民との会話、および彼ら漁村民と共にいる女性型のゴースに似た者たちの名前が「養殖人貝」となっていること。
    貝塚らしきものの前にしゃがみ込み、作業をしている漁村民の姿からして、ゴースの存在が示すものは非常に大きなものになっていく。
なおトゥメルとは、地下遺跡を築いた古い種族の名であり
神秘の知恵を持った人ならぬ人々であったと言われている

(トゥメルの聖杯)
星の介添えたるあり方を啓示する

(カレル文字「苗床」)
…呪う者、呪う者。幾らいても足りはしない
呪いと海に底は無く、故にすべてがやってくる
さあ、呪詛を。彼らと共に哭いておくれ
我らと共に哭いておくれ…

  • 定義することも憚れる存在
    カレル文字「苗床」にある「星の介添え」という言葉と、「苗床」を装備した主人公を同胞とする漁村民との会話。
    そして漁村民らが行っている作業と養殖人貝という点を考えた時、彼ら漁村民が行っている行為はゴースにも人にも似た存在である養殖人貝の世話をすることであり、
    その行為を彼らは星の介添えとしていると考えることが出来る。
    "介添え"とは、寄り添い世話をすること。結婚の際に新婦に付き添い世話をする役目のこと。
    この養殖人貝が仮にゴースからの遺伝的継承を受けた、いわゆる稚魚のような存在であるなら、カレル文字「苗床」に書かれた星の介添えとは、
    命を育む行為そのものが星という概念にも似た大きな存在に奉仕することであり、同時にゴース自体を星と同義にしているという見方も出来る。
    そのためかどうかは不明だが、このゴースの存在は作品外でも徹底的に明確な存在として扱っておらず、
    デザインワークスには絵は存在しても名前はおろか目次すら添えられていない。
    この作品が夢というある種の誇張と抽象化を題材にしているところあいまって、いささか辻褄が合わない部分が多いが、
    ゴースが持つ存在の意味は単なる生物には収まり切れない星に匹敵する全てのものの母なる存在の可能性は大いに考えられる。
    言うなればそれは神同然のものであると。

  • 今や神から生まれた人はいない
    人形の造物主と被造物の話で言えば、ゴースが持つ造物主たる数々の要素と被造物であると考えられる人という図式は、今と昔とでは明確な違いが存在する。
    それは今の人は神から生まれた存在ではなく、同じ人から生まれた存在であるということ。
    世代を重ねる以上、人の子の親は人であり、神の子ではない。
    上位者あるいは人ならぬ人々と同じような存在であると考えられるカインハーストのアンナリーゼが「不死の女王」としているところからして、上位者は寿命による世代交代が存在しない可能性があり、造物主と被造物の間柄(愛する)は保たれるが、
    なんらかの原因によって不死ではない今のような人が生まれ、寿命による死と世代交代が繰り返された後は、造物主=神の図式は崩壊し、
    神は今を生きる人を、愛し作った被造物と見据えてはいない。
    人の全てが人形を愛することがないのと同じように、全ての被造物に愛をひけらかす造物主は存在しない。
だから奴らに呪いの声を
赤子の赤子、ずっと先の赤子まで
カインハーストの意匠が見てとれる
不死の女王、その傍系にあたる彼女は

(マリアの狩装束)

  • 獣の病と上位者の怒り
    生物として証明している血に獣がある以上、人は生まれながらに獣と隣人同士の関係であり、それが表出するのが獣の病であると言える。
    その獣の病が地下遺跡の区画のひとつローランでも蔓延し、滅んだとされている。
    そこで生まれた「落とし子」が冒涜の象徴ということになって聖杯ダンジョンのアイテムとなっているところから、獣の病が冒涜を原因に始まったと考えることができ、
    加えてそれが「落とし子」という形で表現されていることから、上位者の子を冒涜的行為によって生ませた過去が獣の病という呪いで広まっていったと思われる。
    特に古い時代の上位者は「婚姻の指輪」を用いた文化が既にあり、不死であることや上位者のコンセプトそのものからしても、その「落とし子」たちが後に今の人の先祖となり、
    何世代にも渡る病という呪いに苦しめられるようになったと。
    これは人形の造物主と被造物の話における「愛すること」と真逆の所業であり、反面教師のように組み込まれた設定であると考えられる。
獣の病に塗れたローランに生まれた、落とし子たちの遺体
それは冒涜の象徴であり、呪いを呼ぶ

(ローランの落とし子)
上位者と呼ばれる人ならぬ何者か
彼らが特別な意味を込めた婚姻の指輪

古い上位者の時代、婚姻は血の誓約であり
特別な赤子を抱く者たちのみに許されていた

(婚姻の指輪)
呪いとは、上位者の怒りに触れた証であり、呪詛であり

(冒涜の聖杯)


人形とマリア Edit

人形の容姿や女狩人マリアを打倒したときに聴ける台詞から、人形はマリアに似せて作られたものだと考えられる。


  • マリアに似せて作られた理由
    マリア打倒時に喋る台詞およびその姿(顔立ち)がマリアと関係しているように見えることから、人形の製作者はマリアと関係が深かった人物、
    有力的なものとしてはゲールマンが人形をマリアに似せて作ったと考えられるが、
    その理由としては、ゲールマンが目指す狩りの在り方が弔いであること。
    獣を狩ることと人を殺すことが同じことであるという真実から目を逸らさず、しかしそこに快楽といった感情を見出すことなく、ただひたすらに相手を想い、狩る。
    その弔いの狩りを受け継ぐ狩人を広めたいゲールマンの役目からすれば、マリアというかつていた狩人が辿った軌跡は、まさしくその弔いを体現して見せた人物であると言える。
狩人様。おかしなことを聞いて宜しいでしょうか
…私は、どこか変わりましたか?

先ほど感じられたのです。私のどこかで、どこか中で、重い枷がはずれるのを
不思議ですね。元より、私のどこにも、枷などありませんでしたのに

  • 優しいが故に狩人をやめる
    マリアの狩装束や仕掛け武器「落葉」のテキストから、彼女はその精神的弱さから狩人であることをやめたとされている。
    ゲールマンに師事したこと、そしてそのことについてゲールマンの「好奇の狂熱」と言われるほどの思想。
    そこから繋がっている漁村での虐殺。
    それらのことからマリアは漁村での惨劇に耐えきれなくなり、狩人であることをやめたと考えられる。
    しかしながら狩人として獣、あるいは別の何かを狩っていたであろうマリアが、漁村での虐殺行為に対して何故心を痛めてしまったのか?
だが彼女は、ある時、愛する「落葉」を捨てた
暗い井戸に、ただ心弱きが故に

(仕掛け武器「落葉」)

外形での判断 Edit

漁村での一件は外形ばかり模すビルゲンワースが内に瞳を得ているかどうかというウィレームの抽象的な表現を具体的なものとして捉えてしまい、実際に頭の中を割って中身を確認してしまったという愚行である。
こういった経緯から察するに、ビルゲンワースはまず上位者か否かについて即時的な判断材料をもとにしていたと考えられ、それがいわゆる外形、つまり漁村民の見た目という部分をもとに実行したものと思われる。
当然ながら頭の中に実際に瞳などあるはずもなく、ビルゲンワースはただ殺戮行為をしただけという結果になったがこの構図はそのまま獣狩りの構図と同じである。
獣狩りという行為においても、狩る対象の判断材料となっているのは同じように外形である。
すなわち漁村での虐殺行為と獣狩りを行う狩人たちの本質的な部分は同じであり、マリアはその事実に耐えきれなかったと考えられる。
自らも同じことをしているのだと。

知識でもなく、哲学でもなく、外形ばかりを模するなど
学長ウィレームの憂いはいかばかりであろうか

(学徒の服)
蹂躙された漁村の住人、その頭蓋骨
おそらくは、頭蓋の内に瞳を探したのだろう
過酷な仕打ちの後が、無数に存在する

(呪詛溜まり)

心の弱さは優しさの表れ Edit

マリアが漁村での一件によって狩人をやめたことは、デュラが獣狩りを放棄したことと似ている。
しかしマリアの場合はデュラと違って同業者でもある狩人に対して恨みや復讐心といったものは抱えず、更に言えばビルゲンワースが秘密にしていた漁村での一件を秘密のままにするために主人公に刃を向けたりもした。
主人公との戦闘は夢の中での出来事であるため、現実では恐らくは戦闘前の出で立ちからするに自殺を選んだと思われるが、彼女の内臓攻撃に暴力的な側面が感じられないところや、最後までビルゲンワースの秘密を守り通そうとした描写からするに、
彼女自身、獣狩りも狩人も必要なことは承知なうえで、最後までビルゲンワースないしゲールマンを否定せず、
しかし己の心の悲鳴まではどうしようもなかった
という心情が垣間見える。
それこそテキスト通りの「心弱きが故に」といったところだが、同時にそれは獣狩りが同族殺しとして無理解に正当化されるべきではないという考えのもとに辿り着いた己の答えだとも言え、
ゲールマンが考える弔いとしての狩りに必要不可欠な他者を想うことそのものであると言える。

死体漁りとは、感心しないな
だが、分かるよ。秘密は甘いものだ
だからこそ、恐ろしい死が必要なのさ
…愚かな好奇を、忘れるようなね


母になる人形 Edit

ゲールマンが唱える弔いの狩りを広める狩人の夢で仕えていること。
狩人らしからぬ優しさを持っていたマリアに似せて作られた人形が狩人の夢で主人公の世話をしている構図は、狩人にとっての母を彷彿とさせる。


  • 狩人の母
    最初の狩人として正しい狩人の在り方を説く役目を担い、夢の中に居続けるゲールマン。
    人形は先述した経緯を持っているマリアに似せて作られたとした場合、他者を想うことを狩人として最初期に持った人物に似せて作られた弔いの狩りを教授するに相応しい存在と言える。
    その二人のもとに狩りを全うするためにやってきた主人公という狩人として未熟な存在。
    この関係性は、狩人の親と子の家族にあたり、ひいては狩人の夢が家族としての家にも相当している。

  • 人形が本当の母親になる瞬間
    作品内における夢は実際の夢同様に願いや理想によって形成されたものである。
    狩人の夢が夢である以上、その存在理由は何者かの願いや理想が関係しており、狩人の夢に至ってはゲールマンないしはローレンスによるものが大きいと考えられる。
    しかしゲールマンを倒した後の夢の存在理由は、主人公あるいは人形の願いによって存続している可能性が高く、
    いちエンディングのひとつ「幼年期の始まり」は、主人公自らが上位者化へと目指した願いと、その主人公を育てる母としての人形の願いによって、狩人の夢は正真正銘の二人の家族の家という形になったと考えられる。
    それは、これまで役割という形に留まり続け、独立した意識を持たず「そう愛するものでしょう」と懸命に主人公の造物主を演じようとしていた人形と、
    由来も遺伝的継承も不明な上位者となった主人公という、共に親という繋がりが曖昧なもの同士だからこそ成り立ったものでもあり、
    人形は本当の意味での造物主として「愛する」という感情を獲得した結末だと言える。
自ら上位者たる赤子となった証。

(「幼年期の終わり」トロフィー説明文)

何も感じず、ただ役割だけに従事していた人形が、
「愛すること」という感情を主人公や髪飾り等を通して抱いていき、
やがて本当に愛するようになっていく彼女の物語は、作品における上位者のコンセプト「赤子を求めている」という理由の答えを指し示しているのかもしれない。


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS